かわさん(かわしま よしのり)

Birthday

 12/23

Blood Type


 O

Native Place


 富山県


<プロフィール>


寅年生まれのダメダメサラリーマン。定年間近にして大病を患い、後遺症で車椅子に乗っかっております。周りのサポートに感謝。
環境は激変したものの、できる限り歌を続けていきたいと思っています。

音楽歴

2才半にはバイオリンを始めていたらしい。注意力散漫で、先生に弓で叩かれて受講拒否児だった様子。

ヤマハ音楽教室を経て、高校までのらりくらりとピアノを習う。が、練習を全くしていかない怠け者で、先生から「こんなんじゃ、月謝もとれないわ!」と嘆かれ、潮どきではないかと悟る。

小学生の頃に出会ったユーフォニウムがきっかけで吹奏楽のかなりのめり込み、高校まで続く。やりたい曲の楽譜がないので、カセットテープを何度も何度も巻戻しながら音を辿り、採譜して演奏した。(これが耳コピーということは30を過ぎてから知る。)

大学生でマンハッタン・トランスファーと出会い、ナイチンゲール・・・を耳にして驚愕。いつかこんなことを自分もやってみたいと思う。が、その後しばらく楽器からは遠ざかる・・・

当時、アルバイトでFM大阪の某番組でADとしてレコード(まだCDは出回ってなかった)を
回したり、聴取者プレゼントの発送を担当。日本初のコンガ奏者と呼ばれる古谷哲也氏と出会い、その音楽事務所で「歌のお兄さん」として関西の小学校、中学校などでの公演に参加。「こどもたちの目線に下げたらあかんねん。こどもたちが大きくなったらあんな風になりたい、と思わせるようにならんとあかんねん。」という教えが今も座右の銘となっている。

卒業後、2年ほど台湾に渡り日本語を教える。クラスの最後に必ず日本語の歌を聴いてもらう時間を設けたが、由紀さおり、安田祥子の多重録音「夕焼け小焼け」が大ヒット。日本の唱歌の価値を再認識。

ある日、深夜放送のトライトーンを見て再び驚愕。あの頃のマンハッタン・トランスファーへの憧れがむくむく。ちょうど世の中に出回り始めた Windows95 とインターネットを頼りに何かないか探し始めて、みつけちゃったんだな、これが。

そこで 1998年 うみねこやの元メンバーたちと出会い、紆余曲折を経て、緩いながらも今も続いております。

会社の同僚とか、学生時代のサークルとか、そういう由来がないのに20年も続いているグループって、たぶんかなり珍しいケースだと思います。